翻訳と辞書
Words near each other
・ ヨハネ騎士団
・ ヨハネ黙示録
・ ヨハヒム・フォン・リッベントロップ
・ ヨハン
・ ヨハン (エステルイェートランド公)
・ ヨハン (ザクセン王)
・ ヨハン (ザクセン選帝侯)
・ ヨハン (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)
・ ヨハン (ブランデンブルク=キュストリン辺境伯)
・ ヨハン (ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯)
ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公)
・ ヨハン (プファルツ=ノイマルクト公)
・ ヨハン1世
・ ヨハン1世 (ザクセン王)
・ ヨハン1世 (ニュルンベルク城伯)
・ ヨハン1世 (バイエルン公)
・ ヨハン1世 (プファルツ=ジンメルン公)
・ ヨハン1世 (プファルツ=ツヴァイブリュッケン公)
・ ヨハン2世
・ ヨハン2世 (スウェーデン王)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公) : ミニ英和和英辞書
ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公)[こう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公) : ウィキペディア日本語版
ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公)[こう]
ヨハンJohann von Pfalz-Birkenfeld-Gelnhausen, 1698年5月24日 ゲルンハウゼン - 1780年2月10日 マンハイム)は、ドイツのプファルツ=ビルケンフェルト家の一員で、プファルツ=ゲルンハウゼン公。
プファルツ=ゲルンハウゼン公ヨハン・カールとその2番目の妻のヴィッツレーベン男爵夫人エスター・マリーとの間に次男として生まれた。両親の貴賤結婚のため、プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の正嫡の公子として認められたのは1715年になってからであった。プファルツ選帝侯領の砲兵大将(Feldzeugmeister)および軍司令官であり、またプファルツ選帝侯家の聖フーベルトゥス騎士団(Hubertusorden)の騎士にも叙任されていた。またプファルツ選帝侯領を構成するユーリヒ公領の総督および軍隊の司令官に任命され、主にマンハイムを生活の拠点とした。1739年に兄フリードリヒ・ベルンハルトの死後、プファルツ=ゲルンハウゼン公爵家の家督を継いだ。
== 子女 ==
1743年にダウン(現在のラインラント=プファルツ州バート・クロイツナッハ郡ホッホシュテッテン=ダウン)においてザルム=ダウン伯(Wild- und Rheingraf von Salm-Dhaun)カールの娘ゾフィー・シャルロッテ(1719年 - 1770年)と結婚し、間に8人の子女をもうけたが、成長したのは3人だけだった。
*カール(1745年 - 1789年) - ゲルンハウゼン公
*ルイーゼ(1748年 - 1829年) - ロイス=ゲーラ伯ハインリヒ30世と結婚
*ヨハンナ(1751年 - 1752年)
*ヴィルヘルム(1752年 - 1837年) - ゲルンハウゼン公、のちバイエルン公
*フリーデリケ(1753年)
*ゾフィア(1757年 - 1760年)
*クリスティアン(1760年 - 1761年)
*ヨハン(1764年 - 1765年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヨハン (プファルツ=ゲルンハウゼン公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.